いつか思い出すかもしれないから


むかしから、僕の中には、香りと景色がセットになった記憶が多い。予感といってもいい。これはどこから始まって、いつまで続くのだろう。

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「野球なんて高校以来やってないし、正直だるいな・・・」

そんなことを考えていた気がする。

入社してすぐに行われた花見で「高校まで野球やってました。左投げです」なんて言ってしまったが最後、会社の野球サークルに半強制的に入部させられてしまった。

どうせ酒の席での会話なんて覚えていないだろうなんてタカをくくっていたが、どうやら元高校球児という肩書きは草野球のチームではそれなりに重宝されるらしく、役員をはじめとするサークルのお偉いさん方の記憶にはしっかりと残ってしまっていた。そして翌週にはゴールデンウィークに行われる合宿(という名の飲み会旅行)の誘いが来た。

終業間際、注文していたユニフォームが届いたというので上司の席に行った瞬間、ふと、高校から駅までの通学路が頭に浮かんできた。

「お疲れ様です、ユニフォームを受け取りに来たのですが・・・」

そう言っている間、今度は当時のチームメイトの顔を思い出した。

「あぁはいはい、これね」

上司がキャビネットを開けて紙袋に入ったユニフォームを取り出す。そして渡された紙袋を手に取った瞬間、これまで浮かんできた景色は気のせいではなかったことを知った。

突然走馬灯のように駆け巡ってきた昔の記憶の正体は、このユニフォームに染み付いた柔軟剤の香りだった。あの時と同じ、香料と化学物質が入り混じった、思い出の匂い。

思い出だけれど、決して大切にしまっておけるようなものではない。無造作に机の引き出しに詰め込んで、たまに取り出しては床に叩きつけてまた投げ捨てるように仕舞う。それでも数少ない愛おしい思い出だった。

当時の心細さと今の不安が重なり、僕は自分のデスクの前で立ち尽くした。今すぐにその紙袋の中身に顔を埋めたかった。

当時の人工芝から照り返す太陽の光が懐かしかった。傷だらけのボールの感触と、汚れた部室が恋しかった。

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7年前のあの時期も、今と同じ葉桜が終わりを迎えたばかりの春だった。

当時の僕は今ほど楽観的ではなく、すべてに対して不安を抱えて生きていた。当然、始まったばかりの高校生活に対しても。

とりわけ部活動には、先輩や顧問に対する畏れと、特待生として入部してくる同期に対する劣等感で情けなくも泣きそうになりながら練習をしていた。なにをしても怒られそうで、その場に順応できないつらさに押し潰されそうになりながら日々戦っていた。

そんな心と身体に行き場のない日々を思い出させてくれるのが、借り物のユニフォームから漂う、誰のものかわからない、でも確実に誰かが纏っていた香りだった。

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ふと嗅いだ香りから蘇る記憶のことを、僕は祝福のように思っている。たまたま鼻腔をつくうつくしいもの、予期せず目の前に降ってくるもの。想起される記憶が良いものであれ悪いものであれ、僕はそれを幸せなことだと思っている。そして、その記憶が現実に再生するのを、僕は待ちのぞんでいる気がする。

当時と同じ「新しい環境」に足を踏み入れている今、確かに不安もあるし、怖い。当時の心細さに比べると今の不安なんてちっぽけなものだけど、それは自分が大人になっただけの話で、自分の将来が心配なのは事実だ。

でも、またさらに何年か経って、「今」という景色を思い出させてくれる「香り」に出会うかもしれないと思うと、少しだけ社会人一年目という激動の一年間を頑張れる気がする。